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926 799 TYGtrHd5y. 2011/03/24() 00:26:04.13
ああ、結婚生活の中で言ってなかったことを、離婚してから言わなきゃいけないのか。
私「元嫁、ちょっと話があるので、夕飯、早目に外で食べよう」(これ6時間ほど前の話)。

医者に言われたことがある。「このように自分の認識をコントロールすることは、誰でもできるものではないです。あなた(=私)が母親の記憶を消したのと関係ありますね」
そう。私を産んだ女は、私が小学校2年のとき、駆け落ちをして私と親父を捨てたのだ。
親父はしばらくはもとの家にとどまっていたが、噂にたえかねて、私をつれて、新しい土地に引っ越した。私は5年生になっていたはずだ。
親父は、私のアルバムから、母親とのツーショット写真を全部捨てた。
だから、赤ちゃんの私の写真はあってもおっぱい飲んでいる写真はない。幼稚園の入園式や小学校の入学式は、1人で気を付けしているものしかない。ピクニックや遊園地といった、子どもと母親とがじゃれついている写真もない。
母の日や授業参観などが近づくと、「お前の母親は早くに死んだんだ」と親父は苦虫をかみつぶしたような顔をしながら話すので、そうした話題は避けるようになった。私には母親はいないのだ、と思い込もうとしたのだろう。
むかしの記憶は、かろうじて2つ残っている。
ひとつは、ラジコン模型の車を、私を産んだ女の実家の畳の部屋で、手で押しながら遊んでいるシーン。祖母によると、箱をもってうれしそうに実家の前で私は立っていたそうだ。捨てられたのに。
もうひとつは、おそらくラジコン模型を買ったデパートの屋上でゴーカートに乗っているシーン。隣に女の人が乗っているが、スカートと足しか見えない。最後の思い出だったんだろうね。
こっちの記憶は、ゴーカートの揺れもきつかったし、思い出すたびに頭が痛くなる。それで、私はクルマやバイクが大嫌いだ。運転免許はもってないし、バスにしろタクシーにしろ他人の車にも、あまり乗りたくない。

泣きたくなかったから、元嫁にも泣かせたくなかったから、外で食事しながら話した。私も元嫁も、ほおを涙が伝っていた。
元嫁「ごめんね。不倫で女に二度捨てられたんだね。でも、安心して。三度目はないから」
私「いつ、お前と鞘を戻すって言った」、自分でもびっくりするくらい怒った声だった。